新年描きぞめは恒例カリキュラム
墨の性質を活かした描法
遊びも含めて
活動した後にそれぞれ制作してみよう
準備運動・・だけど
4歳〜6歳のプチコース
初めての子も2回目の子も
準備運動として
硯で墨をすってみました。
水からスタートしたものが
段々と濃くなっていくのは
他のものにない面白さがあるようです。
10分くらいして
「じゃあ、そろそろ次をしてみようか。」と私
「まだやる〜。」
「もうちょっとぉ」
お正月明けだし、まぁいいか
と、すること10分、15分、20分・・
このあと、3工程くらいを準備していた私は
どーしよーかな、と
子どもたちは止める気配がありません。
人数分の硯がなく2人交代ですっています。
20回づつとか30回づつで交代
子ども同士でルールを決めています。
そのうちに集中して黙々とすっていた子が
交代してくれなくなりました。
見かねたアシスタント講師が
「順番だから交代してあげてね。」と声をかけました。
その子は余り言葉を発しない子なのですが
じっと手を止め黙って講師を見つめます。
私は、どうするのかなと近い距離から見ていました。
マスク越しの視線は真っ直ぐで
無言で何か訴えようとしています。
交代するまで何十秒かの出来事でしたが
とても長く感じました。
授業後に講師とこのことについて話しました。
「楽しくて、集中しているのに
なんでやめなきゃいけないの?」
大人に説明する語彙を持たないため
無言の抗議だったのかなと
それと1週間後にブログを書きながら気付いたのは
「交代しなきゃダメなのは分かっているよ
もっと思い切りできるように
なんで準備してくれないの?」
こんなことも言いたかったのではないかな。
結局このクラスは90分のうち約50分
墨をすっていました。
気が済んだところで
この後みんな
機嫌よく絵を描き始めます。
「なんで書くんだよ!」
6歳の男の子
アシスタント講師が男の子が描いていた画用紙の隅に
鉛筆で名前をメモ書きしたことに怒ったのです。
誰の作品か分かるために書いている
という説明をしたのですが
「なんで書くんだよ!」
と同じ言葉を繰り返し言いました。
講師はとても真面目に
テキパキと自分のポジションの仕事をこなす人です。
私は
「ごめんね、書いてもいいか
ケント君に聞いてからすれば良かったね。」
謝りました。
便宜上、大人が何とも思わずこなしていることかもしれません。
通常は作品が仕上がってから名前のメモを4Bの鉛筆でしています。
理由は完成するまで画面全体が作品になる可能性があるからです。
まだ制作する可能性のある部分に
他人が手を入れてしまう
それはやはり怒るに然るべき・・ことでしょう。
講師は少し手隙の時間に
気を利かせて行ったことだったのです。
理由を伝えて、ちゃんと指導しなかった私のミスだったと反省しました。
自分の想いを
ちゃんと伝えようとする事は
言葉があってもなくとも
立派だなと感じました
また伝えたい関係性があることに
安心したりもします。
伝えても改善する可能性なければ子どもは無言でしょう。
小さな出来事のようですが
楽しくつくる
活動を好きになる要素になるのかな、と。
大人は自分が子どもだったことを
たいがい忘れてしまうので
子どもが
「も〜、分かってないなぁ」
と揺り戻してくれるのかもしれません。