『今日は死ぬのにもってこいの日』
ナンシー・ウッドの詩が
知らず口から出てくるような
穏やかな秋晴れの日曜日の昼下がり
義母が亡くなりました。
人はタイミングを見計らって
死ぬ事ができるのでしょうか。
雨空や雷、曇りがありつつも
少しづつ、落ち着いて明けていっている
そんな時でした。
義母は皆より遅れて
病院に駆けつけた私と目が合い
5分と経たずに息を引き取りました。
待っていてくれたかのようでした。
入院する前のわずかな間
生活を共にしました。
弱々しくなった年寄りでしたが
ちゃんと残していってくれたものがあるようです。
死ぬにはもってこいの日
20年くらい前には何の事か分からなかった。
今はこの詩が実感できる。
そして自分も
こうだといいな、
と思えるようになったということなのでしょうか。
親は語らずとも
生きる事も死ぬ事も見せて
教えてくれるんだな
と葬儀を終えて思いました。
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アメリカインディアンの口承詩をもとに
ナンシー・ウッドが書いたものです。
ご参考になれば。
・タオス・プエブロの古老の言葉 (本書より引用)
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。