今年も好きな人へプレゼント〜父の日の制作をしました。
教室では父の日/母の日の作品楽しみにして励みにされている方もあるので、
5月6月は「好きな人にプレゼント制作月間」、のようにしています。
高学年は、特にお父さんは描きにくくなるので
キャラクター化したり、カタツムリや鳥になったりしています。
それはOK!です。
まず絵を描き
セロファンがかかった用紙に油性ペンで下の絵と重なるように描きます。
絵とセロファンは、密着していないので
光を当てると二重に画像が映ります。
眼鏡やサングラス、洋服の着せ替え
ちょっとおしゃれな人ができあがり。
「額縁版」今までしていない子が制作しました。
『父の日』は禁句?
私が審査員で行かせていただいている児童画展で
「父の日の似顔絵」というテーマのものがありました。
それが3〜4年前から「大好きなもの」とか「日曜日」という内容に変わってきています。
やはり、お父さんの居ない子の配慮なのだと主催者の言。
父親がいなかった、という親族、友人は
「父の日の絵」を描こう、という幼稚園・保育所・小学校時代
6月がユーツだったと言います。
父親や夫、パートナーが家庭内にいない理由は様々でしょう。
ただ「父親がいない」ことを禁句にしてしまっているように感じます。
○○ちゃんはお父さんがいないから、お父さんの話題をしちゃダメよ
ということが、まま、あるのではないでしょうか?
ちょっと腫れ物状態かもしれません。
何年か前の、こうした制作の際に
お父さんがいない子がいました。
「へぇ、お父さん、いないんだ!」
子どもはストレートです。
「でも、
○○ちゃんはママが優しいからイイじゃん!」
すっごく、サラッとその子は言ったんです。
以前、
長谷川きよし氏/盲目のアーティスト
コンサートで話された事です。
「僕は目が見えないから、他人(健常者)は
僕みたいな人のことを「目の不自由な」と言ってくれます。
でも、なんかしっくりこなくて、反って差別感があるような気がします。
僕は愛情をもってメクラです、と自ら呼んでいます。」
長谷川氏は「盲目の」と接頭語に付くのも
「下駄をはかされているみたいでイヤ」
うろ覚えですが、そんな事もおっしゃっていました。
なんでも揃っている、完璧な人はいるのでしょうか。
目に見える不足は分かりやすいけど
身体の中身や心は分かりません。
父の日から極論かも知れませんが
「ない」ことを「分かる」ということも大切かな、と思います。
認める、とか、お気の毒、理解してあげる、という言葉が出て来ると
それこそ上から目線かな、と。
「ふうん、そうなんだね。」
何気ない子どもの言葉かもしれませんが
ゆたかに優しいと感じました。
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